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チ。

以前に原作を無料公開分まで読んだことがあって、アニメがNHKでやると知って見始めたアニメ。

現在までに3話まだ放送された。

 

以下は私の個人的感想であり、原作者が伝えたいのはそういうことじゃない、というようなニッチな観点からの感想であるかもしれない点をご留意ください。

 

 

 

 

主人公の少年ラファウは成績優秀で外面が良く世渡り上手、嘘も方便を地で行く性格だった。が、3話であんなにも人間は変わるものなのか……というくらい変貌を遂げる(私的には良い意味で)。

思想を守り、信念を貫く道を選んだ。

さながら殉教者のように。

多くの人にとってはその選択は馬鹿げてる、愚かだとしか思えないだろう。ラファウの決断とそれに至る過程を視聴者としてみてきて、そして地動説が当たり前の常識として認知されてる今の時代なら、ラファウの信念を貫いた姿に視聴者は感動できるが、そうでない第三者からすると、ラファウの行動は突然トチ狂って人生棒に振ってしまったようにしか見えない。

 

異端審査官(ノヴァク)とラファウが牢の中で会話するシーンでは淡々と語るラファウに対して、理解できずに狂ってる、と反論する。

でもラファウは「そんなことはない」とか、どんなに相手に否定されてもムキになって相手の言葉を「否定」したり自分の持論を押しつけようとはしないで、その通りだ、と静かに泰然とした姿勢で受け入れる。それが印象的でした。

私は男が反論するたびに「いや、そんなことはない」と言うのかな、と思っていたけど、そうじゃなかった。相手の思想を否定せず尊重した上で、でも自分は正しいと信じ、その思想を守った。

それまで自分よりも不出来な周囲を内心では馬鹿にして見下してすらいたラファウが、ここまで魂を成長させるなんて。

たった3話でこんなにできた人間に変われる人っている?ってくらいの驚き。

 

いや、アニメじゃん大袈裟。

と思うかもしれない。

 

でも、このラファウのように人って実際変われるんだよね。

 

私の叔父に身体に障害があって、病気にもなってしまった人がいるんだが、その人とは子供の頃に一回会ったくらいだけど、静かで穏やか印象の人だった。それが親から聞いた話では病気の進行のせいか性格がイライラしやすくなっていたらしいが、入院して亡くなる数日か数週間前にはその性格が嘘のように穏やかで優しかったらしく、同室の患者を励ましたりして、他の患者さんは口を揃えて良い人だったと言っていたそうだ。

 

人は変われるってこと。

 

本人が変わろうと思わなければ変わらないかもしれないし、そう容易なことじゃないから何か環境を変えたり、何かの出来事や変化があって気づきを得ることができたら、変わるきっかけになるかもしれない。

 

 

チ。のラファウも気づきを得たんだね。

自分の知らなかった知識を得て、常識が変わって、世界が開けて、後はもう覚醒していくように変わっていった。

 

 

私はチ。を見ていてそう思ったのと、ラファウが生きるためにその場限りの嘘でやり過ごそうと考えたり、最終的に頑なに信念を貫き通すことを選択した姿を見ていて、踏み絵を思い出した。

江戸幕府隠れキリシタン見つけ出すためにキリストの絵を踏ませる、あれ。

ただ踏むだけなんだから、キリシタンであっても踏んでしまえばいい。

と、私なら思ってしまう。

だけど信じている者にとってはそれは自分の信じているものを軽視することで、信念というのはその場限りの嘘でしのぐような軽々しいものではない。

もちろん自分の人生が大事、死んでしまえば何にもならない。だから嘘も方便で乗り切ることも不正解ではないと思う。というか正解不正解と断じるものでもない。

 

だけどそうやってしのいで自分のしたいことをできず一生我慢し、自分に嘘をつき続け、信じるものを捨てる人生に意味はあるのか。とラファウは考えたのかもしれない。そのためならここで自分は終わり、継承しようと。(録画見た後消してしまったのでセリフうろ覚えなのだが)

裁判中までラファウは嘘をついてやり過ごし、こっそり研究を続けることを選択肢に入れてたけど、牢に入る前あの手紙を書いた時点で決心していたのかも。

 

周囲がなんと言おうと自分の思想、信念を守り貫くって宗教の信仰にも似てるなぁと思ったのです。

日本では宗教のイメージ良くないし、もちろん宗教を理由に戦争や紛争をしかけたり人を殺すのは論外だけど。

それによって他者を傷つけず、他者の思想を否定・軽視せず、自分の思想を貫くのは何も間違ってはいない。

だから、その人が何を信じていても、それが理解できなくても、わかり合えなくても否定せず軽視せず馬鹿にせず、このラファウのように尊重できるように、なっていきたいなぁ。